なか川に作品を持ち込むだけでなくご飯も食べにくるようになった相田みつを先生。
初代女将中川光子との会話の中で
「みつをあんた欲しいものあるかい?」
という何気ない会話の中から生まれた返答で、お歳暮の時期には洗濯機、暮れには冷蔵庫を
光子が用意をしてプレゼントをするなど、
みつをのご飯だけでなく生活での欲しいものまで用意するほど
みつをとなか川家の家族ぐるみの付き合いに発展していきます。
それだけみつを先生の人柄に粋な初代女将が惚れ込んでいたんだと思います。
同じように食事をしながらこんな話もでました
「大きな作品を書くときに部屋が狭いので
小さなテーブルに紙を乗せ、一文字書いては紙をずらし
また次の文字を書いているんです」・・・と
その言葉を聞いた初代女将 中川光子は
旅館なか川に出入りしていたお抱えの大工さんに
「みつをの好きなような大きさのものを設計してやってくれ!」
ということを伝え、
みつをの書が書きやすい大きなサイズのテーブルと共に
テーブルの入るアトリエまでプレゼントしております。
これが相田みつを先生にとって最初のアトリエとなり
たくさんの作品を生み出した原点のひとつになります。
現在も東京相田みつを美術館に飾られているテーブルは
そのとき「なか川初代女将がプレゼント」したものが現存し
いまも飾られております。